万物の法則を覆す、機械式時計界のマクラーレンF1


撮影&資料協力:RICHARD−MILLE 銀座


エンジンブロー1発が命取りのF1マシンを例に挙げるまでもなく、高額で精密なものになるほど繊細で脆い。スーパーカーをファミリーカーばりに荒く扱えば簡単に壊れるだろうし、ハンドクラフトで作られた楽器は総じて環境変化に弱い。湿度管理もしない部屋に油絵を飾れば塗料が剥離するだろう。「高級品」「工芸品」といわれるものほど脆弱なのは、万物の法則である。

もちろん腕時計とて例外ではない。構造のシンプルなクォーツ式は別として、精緻なメカニズムをもつ機械式、それもトップグレードの複雑時計ほど取り扱いが難しい。特に機械式の最高峰であるトゥールビヨン搭載型ともなれば、スポーツ使用はおろかちょっとした衝撃で内部機構が狂う可能性すらある。そのあまりの精密さ故に、日用使用にまで慎重にならざるを得ない。

こうした現状に不満を募らせていたのがフランスの時計創作家リシャール・ミル氏。彼の腕時計は「芸術品」としての複雑機構を備えながら、普段から気兼ねなく使える耐久性も十分に兼備している。F1ドライバーのフィリッペ・マッサによれば、トゥールビヨン搭載モデルがレースの重力下でノントラブルだったそうだ。ムーヴメントを支えるウィッシュボーン構造の成果である。


 
 数ある複雑機構の中でも、その精密度で他を圧倒するトゥールビヨン機構を搭載。


奇しくもこれは「時計機械にかかる重力の緩和」を目指すトゥールビヨン本来の命題を果たしたことになるが、そもそも時速200km以上のスピードで生じる横Gを想定したトゥールビヨンなど存在しただろうか。わずか数ミリ四方の狭いスペースに、幾多の精密パーツを集約した超複雑機構である。プレミア用途での搭載が定着した現代にあって、この耐久性は驚嘆に値する。

また極小パーツにも肉抜き加工が施されているのが特長だ。これは機械全体を軽量化させることで、駆動中の負荷を最小レベルに低減させるため。もちろん軽量化するほど強度不足に陥るリスクをともなうもので、軽さばかりを追求して剛性が不足するようなことになれば、運動効率が低下して駆動性能も悪化してしまう。これではスペックアップどころか本末転倒の結果といえよう。

そこでリシャール・ミル氏の導き出した対処法は簡潔明瞭。高硬度のナノカーボンを地板として、ここに各パーツを組み込むというものだ。さらにビス類にチタニウムを採用し、ケースやその他のパーツと意図的に粘度を変えている。これならネジ込み後の接合強度を向上させ、消費エネルギーを減少させることができる。軽くて低トルク、高剛性という理想のエンジンが完成した。


 
 歯車の配列や角度まで厳密に調整することで、運動効率を向上させることに成功した。


このように羅列していくと、レーシングカーの設計思想に近い。かつて全日本をはじめとする世界各地のGTレースを席巻し、ル・マン24時間での総合優勝で「スーパーカーは脆弱」という常識を覆した最強ロードカー・マクラーレンF1を彷彿とさせる。両者とも機能を損ねる要素を排除しながら、性能・耐久性・デザイン性・プレミア性のすべてがトップクラスであることも共通している。

見方によっては工業製品に思われがちだが、入念な手作業による、純然たる工芸品であることも付け加えておきたい。唯一、リシャール・ミルですら削ぎ落とせなかったのが価格。2009年1月現在、写真の「RM002-V2 TOURBILLON」で約2700万円もする。マンションが買えてしまう金額だが、機械式時計に興味のある方には一見の価値がありそうだ。


 
 装飾目的のエングレーブでなく、軽量化するための肉抜き加工が施されている。

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