なぜ高級時計は機械式ばかりなのか?


わざと人件費を掛けて製作する…という意味において、ミニッツリピーターと並ぶ究極の複雑機構がトゥールビヨン。「ブレゲ・クラシック・トゥールビヨン・メシドール・PTモデル」はお値段1664万円。



高級時計の大半を占める機械式、その性能は?
紳士用の高級時計は、その大半が機械式。昔ながらのゼンマイ時計が多数を占めています。舶来ブランドの機械式時計は数十万から数百万円。品物によっては数千万円から億単位のものまで存在するほどです。それだけ値段が高いのだから、さぞかし高性能なのかといえばそうではありません。普通のクオーツ時計や、その発展型である電波時計のほうが遥かにハイスペックなのです。

たとえば一般的なクオーツ時計の誤差が1ヵ月間で±10〜30秒以内、電波時計なら国内で誤差10万年に1秒相当という高精度であるのに対し、機械式時計の誤差は1日で±2〜30秒。しかも機械式はゼンマイを巻き上げなければ2〜3日で止まってしまう上に、数年に一度のメンテナンス費用が桁違いに高額。安くても2〜3万円、ものによっては10万円オーバーも珍しいものではありません。

つまり機械式時計の性能はダントツの最下位!精度・駆動時間・メンテナンス性のすべてに劣ります。1億円の機械式時計ですら、100円ショップのクオーツ時計に性能で負けてしまう有様。高級時計の世界では「性能」と「価格」の逆転現象が起きているのです。これは常識的に考えたら不思議な話。なぜ性能が劣るにも関わらず、機械式が高級時計の大半を占めているのでしょうか?



 
ストップウォッチ付きのクロノグラフでさえ、クオーツでは考えられないほど複雑な機構となる機械式時計。細工などにも必然的に手が込んでしまうことが、高級品としてアピールできる最大の要素となります。



クォーツ時計の台頭が、機械式時計の販売戦略を変えた
いまでこそ高級時計の代名詞となった機械式も、一度は絶滅しかけた過去があります。1969年にセイコーが世界で初めて「クオーツ腕時計」の実用化に成功したことで、性能に劣る機械式時計は時代遅れの産物に。時刻が正確で、安価で(※注1)、メンテナンス性に優れたクオーツ時計がメインストリームに台頭していく中、機械式時計を生業とするスイスなどの時計産業は滅亡寸前まで追い込まれてしまいました。

そこで多くのスイスブランドがクオーツ時計の生産に乗り出すものの、その多くが高級ブランドであるため販売価格が高額。これではセイコーやシチズンとの価格競争に勝てるわけがなく、ますます不振をきわめる事態となってしまいました。機械式時計をつくっても世間から見向きもされず、クオーツ時計でも後塵を拝してしまうという、まさに四面楚歌の状況に陥ってしまったわけです。

そこでクロノスイス社(※注2)の創業者ゲルト・R・ラング氏をはじめとする識者たちが、機械式時計が由緒ある「工芸品」であることに着目。機械式時計が職人よって丹念に製作されることをアピールすれば、価値ある伝統工芸品として生き残れるという活路を見出したのです。安さと性能でクオーツ時計に勝てないのであれば、いっそのこと「付加価値」で勝負しようという算段です。



 
ムーヴメント自体に美しさや面白味のあるところが、機械式時計だけに与えられた特権のようなもの。
細密な彫金工作や丁寧な面取りなど、さまざまな技法で美しく魅せることに挑戦している。



高級品として成立しやすい機械式
このラング氏などの掲げた販売戦略は、やがて目覚しい成果を挙げることとなります。機械式時計を「贅沢な伝統工芸品」として定着させることで、クオーツ時計との差別化を図ることに成功。機械式時計が「贅を凝らした高級品」としてポジティブに再評価されていく一方で、クオーツ時計に対する評価は「安価な大量生産品」「大衆的な工業製品」へと失墜していきました。

実際、クオーツ時計は工業用のロボットで大量生産されています。ほぼ電化製品のようなものなので、職人技の入り込む余地があまり残れていない。つまり高級品としての説得力に欠けてしまうわけです。当然、安価に大量生産されるものを高級品として販売しても、目の肥えた富裕層を納得させるのは至難の技。工業製品としては優秀でも、高級品として成立しにくいのがクオーツ時計の難点です。

その点、機械式時計は高級品として成立させやすい。細部まで丁寧に製作しようと思えば、職人技を無限に費やして製作することができるからです。そのぶん人件費が天井知らずで膨張していくので、顧客に対して「職人技を尽くした高級品」として説得力のある訴求ができる。その究極の到達点がミニッツリピーターやトゥールビヨンで、ここまでくると芸術品の域といえます。

そしてこのような販売戦略こそ、高級ブランドが生き延びていくための唯一の手段です。安価で高性能な時計を生産するメーカーに対抗するには、徹底した高級路線で差別化を図るしかない。それには「工芸品」「贅沢品」としてアピールできるものでなくてはならず、必然的に機械式の一択となる。いわば機械式時計こそ、高級ブランドが存続していくためのライフワークなのです。

※注1
いまでは安価なイメージの強いクオーツ腕時計も、セイコーが世界で初めて市販化した「クオーツアストロン35SQ」のお値段は45万円。大量生産体制の確立されていない当時は、安価な製品ではありませんでした。

※注2
クロノスイス社はドイツ生まれのブランドで、現在はスイスに本拠を構えています。スイスブランドのようなネーミングだけど、じつはドイツ発祥で、いまはスイスブランド…ちょっとややこしいですねぇ。

【おまけ】機械式時計だからといって高級品になるとは限らない
ひとくちに機械式時計といっても、やはりピンらキリまで存在します。その中でも中国あたりで適当に作られたものは安価な大量生産品。機械式時計だからといって、必ずしも高級品とは限りません。これはプラモデルなどの製作と似ていますね。手を抜いて作れば数時間で完成させることもできますが、細部までこだわれば数ヵ月も掛かってしまう。この違いがコストと品質の差を生み、安物か高級品かの分かれ道となります。

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